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更新日:2021年12月22日
私たち展示解説員は、皆さんに、多賀城市の歴史をより分かりやすく詳しく解説が出来ることを目指しています。
この日は展示室を出て、八幡地区の歴史遺産、名勝を見学しながら解説の研修を行いました。
実際の場所を見学しながら解説勉強を行いました。
今回は、徒歩で多賀城市八幡地区へ向かいます。
まず、喜太郎稲荷神社へ行きました。ここには江戸時代、八幡地区の領主であった天童家の守護神が祀られています。
境内には、喜太郎稲荷神社の由緒が刻まれた碑もあり、天童家との深いつながりが伺えます。
江戸時代の八幡の絵図と照らし合わせながら、歩みを進めていきます。
すると、天童家の菩提寺である宝国寺の本堂ごしに、立派な樹木が見えてきました。末の松山です。
後継樹を含めると、4本現存していますが、かつては丘陵上にたくさん自生していました。
末の松山は、みちのくの歌枕として知られています。元禄2年(1689年)この地を訪れた松尾芭蕉は、「はねをかはし枝をつらぬる契りの末も、終にはかくのごときと、悲しさも増りて」と『おくのほそ道』に記しており、変わらぬ男女の契りも、結局は眼前に見るような墓の下に帰してしまうものである、という無常を感じています。
実際に見ると大変大きく気品があり、普段見ている松とはまた違った雰囲気でした。
推定樹齢480年、高さ約19mのクロマツで、市指定保存樹木に指定されています。
また末の松山は、壺碑、興井とともに、名勝おくのほそ道の風景地に指定されています。これは、『おくのほそ道』に登場し、今も良好な景観を残す歌枕の地や名所旧跡で構成されたものです。
末の松山から南方に進むと、閑静な住宅街の中に、興井が見えてきます。
池の中央に、ごつごつした岩が顔を出す独特な景観です。この興井も、歌枕として数多くの歌に詠まれてきました。こちらにも芭蕉が訪れています。仙台藩は、八幡村の有力者を「興井守」に任命し、興井を保護させる代わりに諸役を免除するという、手厚い保護体制を整えていました。
ここでご紹介したのは一部ですが、こうして実際に現地を観ると、改めて思う事や学ぶことがたくさんありました。
私たち展示解説員は、文化センター内の埋蔵文化財調査センター展示室におります。観覧は無料です。展示解説も承っておりますので、ぜひお気軽にお声掛けください。皆さんのご来館をお待ちしております。
お問い合わせ
多賀城史遊館
多賀城市中央二丁目25番5号
電話番号:022-368-3127
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