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更新日:2021年3月17日
弘安(こうあん)10年(1287)に建立された市内で2番目に古い板碑です。西阿弥陀仏という僧を中心に、30人余が力を合わせ、この碑を建てたことが記されています。
名前の由来については、伏せてあった碑を立て起こしたところ、市川に疫病が流行したため再び伏せたので伏石と呼んだとも、仙台藩主の鹽竈神社参詣の道筋にあたることから、藩主に遠慮して伏せたからとも伝えられています。(昭和48年12月18日指定)
所在地:多賀城市市川字坂下71
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