万葉集・万葉文化への誘い

飛鳥・奈良時代の日本、人々はどんなことに心を動かされ、何を想い暮らしていたのか。『万葉集』の時代を舞台に、持統天皇の愛と苦悩の一生を描いた『天上の虹』を30年以上にわたり執筆し続け、2015年(平成27年)に完結させた里中満智子さんが『万葉集』の世界と万葉文化の魅力を語ります。

インタビュー

マンガ家

里中満智子さん

1948年(昭和23年)大阪市生まれ。
16歳の時「ピアの肖像」で第1回講談社新人漫画賞を受賞。高校生ながらプロの漫画家としての活動をはじめる。その後、「あした輝く」「アリエスの乙女たち」「海のオーロラ」「あすなろ坂」など数々のヒット作を生み出し、2006年(平成18年)に全作品及び文化活動に対し文部科学大臣賞、2010年(平成22年)文化庁長官表彰などを受賞。
歴史を題材とした作品も多く、2013年度「マンガ古典文学古事記」古事記出版大賞太安万侶賞を受賞。また、十代の頃より憧れていたという『万葉集』の世界をもとに、持統天皇を主人公とした「天上の虹」を30年以上にわたり執筆し、2015年(平成27年)に完結させた。
現在、創作活動以外にも大阪芸術大学キャラクター造形学科学科長など、各方面で活躍中。

『万葉集』は「日本の心の歴史」

『万葉集』には、男女の性別や身分を問わず幅広く集められた、さまざまな人々の歌がテーマや形式別に整理されて収録されています。『万葉集』は、それぞれの作者(人物)の歌が同等の場所を与えられ、同列で並べられている、画期的な歌集なんです。そこには、誰かからの命令による作品選定の際にありがちな命令者に対するへつらい、配慮といったものは見られません。

季節の移ろいを繊細な感性で捉えて表現した歌もあれば、他の人に見られていいのって心配になってしまうような朝廷へのうらみつらみを詠う反体制的な内容の歌、お昼のメロドラマの登場人物のようなドロドロした関係の男女が何とも大胆に想いを伝えあった歌、身分の高い皇族の男性からの求愛に対して、身分の低い女性がじらしているのが分かる、素直に喜ばないで強気なのねと思える歌などもあったりします。数多くの人々のいろいろな感情が歌として収録されています。歌の一つひとつが当時の人々の感性・感情のリアルな記録、「日本人の心の歴史」なのです。文学的価値の高さにそうした側面も加わって契沖や本居宣長、斎藤茂吉など後世の人々を魅了し、現在に至るまで大切にされ伝えられてきたのでしょう。

千数百年前の飛鳥・奈良時代の日本、どんな人々が、どんなことに心を動かされ、どんなことを想い暮らしていたのかしら。その頃は、武家が政治を行った時代のような男性中心の社会ではありません。女性も個人財産を持ち、社会における重要な役割を担い、朝廷の仕事などもこなしていました。また、私が作品『天上の虹』で主人公とした持統天皇をはじめ女性の天皇も多く活躍した時代でした。『万葉集』は日本における貴重な文学的遺産であるとともに、『古事記』や『日本書紀』と並んで飛鳥・奈良時代を知る手掛かり(史料)の一つでもあります。歌人として有名な額田王など女性の歌も数多く見られます。実際、『万葉集』の作品やその背景を通して歴史を見ると、これまで興味を抱くことができなかったかも知れない古代日本の人々が現在の自分とあまり変わらないこと、同じような感情を持っていたことに気づかされ、活き活きとした生身の存在、魅力的な人物として受けとめられるようになるはずです。

大伴家持は「時代の語り部」

『万葉集』の編纂者と考えられている大伴家持は、日本の文学、日本における歌の発展に大きく貢献しました。中でも、私は音や気配といった繊細かつ微妙な「日本人的な感覚」を言葉によって表現することを確立した人物として、私は高く評価しています。彼の父親の大伴旅人も万葉歌人でした。旅人は大宰府に赴任した際、山上憶良ほかの歌人たちと交流し、数々の歌を残しました。その影響を大きく受けて家持は育ったのです。旅人の異母妹(家持の叔母)である大伴坂上郎女も万葉女性歌人の一人なのですが、彼女も大宰府に赴き、家持に歌を教えたそうです。当代の優れた歌人らに囲まれて育つ中、歌人としての才能が磨かれるとともに、後に『万葉集』の編纂者となるような教養、見識を身に着けていったのですね。

『万葉集』の編纂者としての功績は、言うならば「時代の語り部」となったことでしょう。家持は防人を管理する役職に就いた時期があったのですが、その時、防人たちの作った、詠った歌に心を打たれたに違いありません。防人は東国(現在の静岡県・長野県から関東地方、東北地方の南部)の出身。それぞれの出身地・生活地の方言で詠まれた歌が『万葉集』に収録されています。家持は地方の言葉を尊重し、そのまま収録したのです。そのため、『万葉集』は古代の東日本の方言を知ることができる資料としても重要視されているのです。

家持は防人の歌をはじめ多数の歌を幅広く集め、「歌でこそ語れる本音」を書きとどめておきたかったのでしょう。そうした文学的情熱にしたがって、家持は『万葉集』を残したのです。飛鳥・奈良時代の「日本人の心の歴史」であり、方言の資料でもある『万葉集』。「よくぞ残してくれた」と家持には感謝しています。

ですが、家持の歌は、ある時からぱったりと見られなくなってしまいます。家持にとって「歌は生きる糧」であったはずなのに…。(歌が見られなくなったことは)とても残念に思います。私は、見つかっていないだけで、家持はずっと歌を作り続けていたと考えています。赴任した越中国(現在の富山県)や因幡国(現在の鳥取県)でも歌を残したように、多賀城でも歌を作ったに違いありません。そう考えるからこそ、『万葉集』にも続編があるはずと考えています。家持の晩年の歌、『万葉集』の続編がいつかどこかで発見されないものかと、期待しています。

『万葉集』へのいざない

『万葉集』に出会ったのは中学生でした。〝自分の心境に近いのはどれかな…〟なんて恋愛に関係する歌を探していた時、舎人皇子の「ますらをや 片恋せむと 嘆けども 醜(しこ)のますらを なほ恋ひにけり」の歌に目が止まりました。男性が片思い(片恋)に悩んでいること、自分の感情のままに歌を詠んでいることなどに気づかされ、興味を持ったのです。皇子に恋心を伝えられた相手の女性は、「嘆きつつ ますらをのこの 恋ふれこそ 我が結ふ髪の 湿ちて ぬれけれ」の歌で返します。解説を読むと、「結った髪が乱れたりするのは(その時に)誰かが私に思いを寄せているから」と信じられていた時代であったことが分かり、可愛いいなあと感じました。そして、二人の恋はその後どうなったのかも気になって読み進んていくことになったのです。すべて漢字(万葉仮名)で書かれていると難しいかも知れませんが、漢字とひらがなで書かれている現代語訳なら読みやすく、親しみやすいことでしょう。何より外国語ではありませんし、大部分が現在でも使われている日本語そのままですから。

『万葉集』は注釈も多いのですが、それがとても面白いのです。正史に記録されていないエピソードに思わず引き込まれてしまうこともあるでしょう。想像をどんどんと膨らませていいですし、いろいろな解釈で受け止めてもいいのです。〝この歌がいいな〟と思ったら、作者はどんな人物だったのだろうと調べてみましょう。それが『万葉集』に親しむ出発点です。

中大兄皇子と弟の大海人皇子、額田王、大田皇女と妹のう野讚良皇女(持統天皇)、有間皇子、高市皇子と十市皇女、大友皇子、穂積皇子と但馬皇女、大泊皇女と大津皇子、大伴家持と大伴坂上郎女、その娘で家持の妻の坂上大嬢、大伴旅人と山上憶良、防人とその家族、柿本人麻呂…。『万葉集』には歴史の舞台に登場した人物が多数います。そして、そうした人々の心の表れでもある歌はもちろん、注釈からエピソードにふれることで、ドラマチックな人間模様も味わうことができます。

現在、私の注目している人物の一人が大伴家持なのです。『万葉集』の編纂者でありながら理由不明の作歌活動の中止(作品の消失?)、死後に行われた官籍からの除名と復権。創作意欲が掻き立てられ、家持を主人公とした作品を描きたいとの思いが強くなってきています。みなさんも興味を抱かせる誰かを探しに、『万葉集』の世界をのぞいてみませんか。