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更新日:2024年7月11日
調査区全景
山王遺跡は、標高3~4mの微高地に立地し、東西約2.0km、南北1.0kmに広がる遺跡です。これまで、弥生時代中期頃の水田跡、古墳時代中期から後期の集落跡、古代の方各地割、中世の屋敷跡が発見されています。特に、古代の方各地割は山王遺跡全域に広がっており、南北大路と東西大路の二つの幹線道路を基準とし、東西・南北の直線道路によっておよそ1町四方の区画を造成した大規模な遺跡です。区画内からは、建物跡、井戸跡が多数見つかっています。
4~5月中旬にかけて、山王遺跡第225次調査を実施しました。
今回の調査では、近世の掘立柱建物や溝跡、古代の掘立柱建物などの遺構を発見しました。
調査区全景
151次調査区(上段)・153次調査区(下段)
新田遺跡は標高5~6mの微高地に立地し、東西約8.0km、南北約1.6kmに広がる遺跡です。
縄文時代から中世にかけての遺跡として知られており、これまでの調査で、古墳時代の竪穴住居跡や水田跡、奈良・平安時代の道路跡や建物跡、中世の屋敷跡など、各時代にわたる遺構・遺物が多数見つかっております。特に中世では、大小の溝で区画された屋敷跡が発見され、寿福寺区において、12世紀後半から16世紀にかけて屋敷群が形成されていたことが分かっています。
4~5月末にかけて、新田遺跡第151~153次調査を実施しました。
今回の調査では、平安時代の畑畝跡と考えられる複数の小溝跡を発見しました。
作業風景(新田151次)
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