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更新日:2022年5月16日

平成29年度速報展

平成29年度速報展「発掘された遺跡ー平成28年度の調査成果ー」

多賀城市教育委員会では、平成28年度に45件の発掘調査を実施しました。これらの調査は東日本大震災に伴う復興事業や個人住宅・宅地造成工事などに先立ち行ったものです。今回の展示は、その中から注目される調査成果を取り上げ、併せて宮城県教育委員会が実施した多賀城跡第90次調査についても紹介したものです。

平成29年度速報展


展示遺跡の紹介

多賀城跡第90次調査
政庁南大路西側の鴻ノ池地区を調査し、創建時の外郭南辺跡にあたる積土遺構とその廃絶後の第2.期に盛土をして造られた通路跡を発見しました。通路跡の南側では完全な形に近い檜扇(ひおうぎ)をはじめとして当時使われた木製品、土器が多数出土しました。

多賀城跡90次速報展用

写真提供:宮城県教育委員会

 

山王遺跡第170~176次調査
山王字山王四区において、多賀城南面に広がる古代都市を構成する道路網のうち、西7道路跡を確認しました。また、その西側の区画で掘立柱建物跡や井戸跡などを確認し、当時のまち並みの様子が明らかになりました。
山王171・172次速報展用

 

新田遺跡第111次調査
個人住宅建築に伴う調査で、古墳時代の土壙(どこう)、古代の道路側溝、中世の溝跡を検出しました。古墳時代の土壙からは土器がまとまって出土しました。また、古代の道路側溝と中世の溝は、周辺の遺構と一連ものであることがわかりました。
新田111次速報展用

 

新田遺跡第115次調査
市内西端部の新田西後地区の調査で、柱穴・溝跡のほか、土器がまとまって廃棄された土壙(どこう)を発見しました。土師器(はじき)や須恵系土器(すえけいどき)と呼ばれる種類の土器で、10世紀初め頃のものと考えられます。
新田115次速報展用

 

市川橋遺跡第92・94次調査
城南二丁目での調査で、東西に延びる古代の道路跡(南1道路)を確認しました。道路側溝からは、漆によって紙が残存した漆紙文書が出土しました。不要になった公文書を、漆の乾燥を防ぐ蓋紙として再利用しており、古代の人々の名前が記されていました。
市川橋94次速報展用

 

東田中窪前遺跡第8次調査
宅地造成に伴う調査で、古代の竪穴住居跡や溝跡、近世の掘立柱建物跡や土壙(どこう)・井戸跡などの遺構を発見しました。古代から近世にかけて、この場所が継続的に利用されていたことが明らかになりました。
東田中8次速報展用

 

 

 

大代貝塚第6次調査

今回の調査は宅地造成工事に伴うもので、市内南東部の大代地区の丘陵斜面に位置します。
現地は、1925年に長谷部言人・山内清男によって調査され、稲作を示唆する、籾痕のついた土器片が見つかった弥生時代中期の桝形囲貝塚の近くにあたります。
調査の結果、縄文時代の貝層と古代の横穴墓が発見されました。遺物では、縄文時代晩期の大洞式土器、石器、弥生時代中期の桝形囲式土器が出土しています。

大代

 

ほ場整備事業に関わる調査
ほ場整備事業に伴う調査で、内館館跡(南宮地区)と山王遺跡(山王小学校周辺・陸前山王駅南側)を調査しました。古代から中世にかけての遺構を確認し、古代では道路跡と道路側溝・掘立柱建物跡、中世では屋敷に伴う区画溝などを確認しました。
山王178次速報展用

 

お問い合わせ

埋蔵文化財調査センター  

宮城県多賀城市中央二丁目27番1号

電話番号:022-368-0134

ファクス:022-352-6548

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