ここから本文です。
更新日:2024年5月22日
日本遺産「政宗が育んだ“伊達”な文化」の公式ホームページが公開されました。
多賀城市からも、「構成文化財」のページで、多賀城跡附寺跡、多賀城碑のほか、歌枕の壺碑(つぼの石ぶみ)・興井・末の松山の5件が紹介されています。
詳細は公式ホームページをご覧ください。(外部サイトへリンク)
地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」に認定するとともに、ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の文化財群を地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内外に戦略的に発信することにより、地域の活性化を図るものです。
詳細は文化庁のホームページをご覧ください。(外部サイトへリンク)
平成28年4月25日、宮城県が中心となり、仙台市、塩竈市、松島町と多賀城市で申請していたストーリー「政宗が育んだ“伊達”な文化」が、日本遺産に認定されました。
仙台城跡や大崎八幡宮、鹽竈神社、瑞巌寺、名勝松島など仙台藩ゆかりの文化財の中で、本市からは、特別史跡多賀城跡附寺跡、多賀城碑、壺碑(つぼの石ぶみ)・興井・末の松山(名勝「おくのほそ道の風景地」)の5件が構成文化財に採用されています。
日本遺産認定により、本市の文化財は、「伊達な文化」の一つとして新たな魅力が見出されたこととなり、今後は主に観光面から、国内のみならず世界中へ情報発信されていくことになります。
認定ストーリーの関係市町および関連団体と事業推進のための委員会を組織し、情報発信(パンフレットなど作成)、人材育成(観光ボランティア育成など)、普及啓発(ロゴマーク導入、PRイベントなど)、公開活用のための整備(案内板、説明板設置など)などの取り組みを推進することにより、交流人口の拡大などを図っていきます。
ストーリーの概要
仙台藩を築いた伊達政宗は、戦国大名として政治・軍事面での活躍は広く知られるところであるが、時代を代表する文化人でもあり、文化的にも上方に負けない気概で、自らの”都”仙台を創りあげようとした。
政宗は、その気概をもって、古代以来東北の地に根付いてきた文化の再興・再生を目指す中で、伊達家で育まれた伝統的な文化を土台に、上方の桃山文化の影響を受けた豪華絢爛、政宗の個性ともいうべき意表を突く粋な斬新さ、さらには海外の文化に触発された国際性といった時代の息吹を汲み取りながら、これまでにない“伊達”な文化を仙台の地に花開かせていった。
そして、その文化は政宗だけに留まらず、時代を重ねるにつれ、後の藩主に、さらには仙台から全国へ、そして武士から庶民にまで、さまざまな方面へ広がり、定着し、熟成を加えていった。
多賀城は、古代律令国家が造営した東北の拠点。陸奥国府も置かれ、平安時代に都の貴族たちはこの地を「みちのく」の名であこがれ、国府の官人だけでなく、幾人もの歌人が歌を詠んでいる。
多賀城の修造を記した奈良時代の石碑で、二代忠宗の頃に発見された。水戸藩の徳川光圀の助言もあり、四代綱村が覆屋を建て保護した。
「陸奥のおくゆかしくぞおもほゆる壺の碑外の浜風」(西行)に代表されるように、遠くみちのくにある歌枕として、多くの歌に詠まれている。芭蕉が「おくのほそ道」の旅の中で紹介して、さらに広く知られることとなる。
「わが袖はしほひにみえぬおきの石の人こそしらねかわくまぞなき」(二条院讃岐)など多くの歌に詠まれ、歌枕の地として有名。
「ちぎりきなかたみにそでをしぼりつつすゑの松山なみこさじとは」(清原元輔)など、多くの歌に詠まれ、歌枕の地として有名。
日本遺産「政宗が育んだ“伊達”な文化」認定自治体の連携強化や魅力向上を目的として日本遺産「政宗が育んだ“伊達”な文化」カードを配布します。
この機会にぜひ、カードのコレクションを楽しみながら構成文化財を周遊してみてはいかがでしょうか。
令和6年6月3日(月曜日)から
(なくなり次第終了)
名称 |
史都多賀城観光案内所(JR仙石線多賀城駅) |
所在地 | 多賀城市中央2丁目7番1号(JR仙石線多賀城駅) |
電話番号 | 022-364-5901 |
配布時間 | 10時00分~16時00分 |
備考 | 休業日:年末年始 |
PDF形式のファイルをご覧いただく場合には、Adobe Acrobat Readerが必要です。Adobe Acrobat Readerをお持ちでない方は、バナーのリンク先から無料ダウンロードしてください。
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください