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更新日:2024年8月30日
多賀城碑覆屋(たがじょうひおおいや)
多賀城碑は、多賀城南門近くにある小さな堂の中に立っています。
この碑は、高さ196cm、最大幅92cmの砂岩で、碑面をほぼ真西に向け立てられています。
碑面には141字の文字が彫り込まれています。中央上部に「西」の一字があり、その下には140字が11行に配されています。
碑文は、前半には京(=奈良の平城京)、蝦夷国(えみしのくに)(=東北地方北半)、常陸国(ひたちのくに)(=茨城県)、下野国(しもつけのくに)(=栃木県)、靺鞨国(まつかつのくに)(=中国東北部)から多賀城までの距離が記されています。
後半には、多賀城が神亀元年(724)大野朝臣東人(おおののあそんあずまひと)によって設置されたこと、天平宝字(てんぴょうほうじ)6年(762)藤原恵美朝臣朝狩(ふじわらのえみのあそんあさかり)によって改修されたことが記されています。
最後に天平宝字6年12月1日と碑の建立年月日が刻まれています。
この碑は「壺碑(つぼのいしぶみ)」とも呼ばれ、江戸時代初めの発見当初から歌枕「壺碑」と結びついて広く世に知られていました。
松尾芭蕉も旅の途中にこの碑を訪れ、深い感動をもって対面した様子が「おくのほそ道」に記されています。
多賀城碑は、群馬県の多胡碑(たごひ)、栃木県の那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)とともに日本三古碑のひとつに数えられており、令和6年8月27日に国宝(古文書)に指定されました。
按察使(あぜち)
奈良時代のはじめに設けられた地方政治をとりしまる上級職。
鎮守将軍(ちんじゅしょうぐん)
各地の城柵と兵士を統括する職。
参議(さんぎ)
奈良時代に設けられた太政官(だいじょうかん)に置かれ、大納言・中納言に次ぐ重職。
節度使(せつどし)
奈良時代に臨時に設けられた地方軍政官。兵士や兵舎の整備や充実に当たった。
仁部省(じんぶしょう)
租税を扱う民部省を、藤原恵美朝狩(ふじわらのえみのあさかり)の父である藤原恵美押勝(ふじわらのえみのおしかつ)が天平宝字2年(758)に中国風に改めた。
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