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更新日:2020年6月23日

奏社宮道道標

明治17・18年(1884・1885)頃、多賀城跡の南端部近くを東西方向に横断する塩竈新道が建設されたことから、旧塩竈街道に面した奏社宮(現陸奥総社宮)への案内表示として大正13年(1924)に建てられたものです。末の松山や鹽竈神社などへの距離も東西南北ごとに刻まれています。

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