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更新日:2021年7月20日
砂押川に面した多賀城公園を背にし、多幹頂冠状の姿の良い糸桧葉を見ることができます。
この場所は、「袖窪」と称され、寛文年間頃から板橋家の屋敷となっていました。
昭和17年海軍工廠の施設が設置されることとなり、庭木として植えられていたこの糸桧葉も家屋とともに移転を余儀なくされましたが、大木で移植が困難なことから、そのまま残されて、現在に至っています。
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