ここから本文です。
更新日:2021年12月22日
八幡館跡は、古墳時代から室町時代の遺跡です。特に遺跡名になっている八幡館は、室町時代に宮城郡内で大きな勢力をもった八幡介(やわたのすけ)の居城と推定されています。今回の調査区は砂押川に面した北斜面にあたり、宅地造成工事(第10次調査)とその後の個人住宅建設(第11~13次調査)に伴って調査し、古墳時代の竪穴住居跡を発見しました。
作業風景(第12次調査)
第10次調査では、竪穴住居跡を発見しました。
竪穴住居跡(第10次調査)
10月から着手した第11~13次調査では、竪穴住居跡の周溝から、土器がつぶれた状態で出土しました。これら竪穴住居跡の年代は7世紀(西暦600年代)頃と考えられます。
周溝から土器が出土した様子(第11次調査)
現在行っている調査は11月末で終了しますが、この後報告書作成のため、これら土器の洗浄や復元作業などの整理作業を行います。来月には、その室内での様子をお伝えしたいと考えています。
本調査地は、新田地区災害公営住宅の東側住宅地に位置しています。個人住宅の新築工事に先立って11月5日から発掘調査を実施しています。
新田遺跡では縄文時代から中世まで、さまざまな時代の遺構・遺物が発見されています。
今回の調査区周辺では、過去にも調査を行っており、その際には、古墳時代中期の竪穴住居を発見しています。
重機による表土の除去作業
遺跡のある地層の上には、表土や盛り土があるため、初めは重機を使って除去します。遺跡のある地層の深さは、その場所によってまちまちです。ここでは、1mの深さで遺跡のある地層が現れました。
人力による遺構の検出作業
遺構のある地層が出てくると、そこからは人力の作業になります。少しずつ表面を削り、土の色の違いから遺構を探します。
発見した遺構
さまざまな遺構が現れました。写真を撮るために、遺構の輪郭に刻みを入れ、分かりやすくしたところです。ここから、実際に掘り下げる作業が始まります。
出土した土師器の器
遺構の表面には、すでにたくさんの古墳時代の土器や、火を使った痕跡が見えています。
次回の発掘速報で、発見した遺構の詳細について報告する予定です。
4月から継続している市川橋遺跡(伏石地区)の調査速報です。
今回ご紹介するのは、11月に新たに掘削した東端部の調査区です。
赤で囲んだ範囲が、今回新たに調査区を設定した場所です。右端に見えるのが三陸自動車道です。
まだ、着手したばかりで調査区全体の様子は明らかではありませんが、一部井戸を掘り下げているので紹介します。
井戸の調査風景です。
10月の速報では木枠で囲った井戸を紹介しましたが、今回の調査区では素掘りの井戸を発見しました。
井戸の直径は約2mです。1.3mほど掘り下げましたが、まだまだ底が見えていません。
今回の調査区では、井戸のほかにも道路や建物、竪穴住居の輪郭も見えていることから、次回の速報ではこれら遺構をご紹介できると思います。
4月から継続しているほ場整備事業に伴う発掘調査の速報です。
現在、山王四区の農道沿いを調査しており、その調査区において縦3.2m以上、横2.4m以上の大きな土壙(どこう)を発見しました。
この土壙は、10世紀初め頃に掘り込まれたものと考えられます。部分的に掘り下げを行ったところ、底面付近から150点を超える土器が集中して出土しました。土器の種類は土師器(はじき)と須恵系土器(すえけいどき)と呼ばれるもので、いずれも素焼きの土器です。
注目すべき点は、出土した土器の9割以上が、内面が上向きの状態で発見されていることです。これらの土器がどのような過程を経てここに残されていたのか、今後検討が必要です
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください