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更新日:2021年12月22日
平成27年度からほ場整備事業に係る新田遺跡・山王遺跡・内館館跡・市川橋遺跡・大日北遺跡・大日南遺跡・六貫田遺跡およびその隣接地の発掘調査を継続的に実施しています。平成30年度は、山王遺跡南部および南側隣接地の調査を予定しており、現在は山王四区の農道敷設などの工事に伴う調査を実施しています。
10月19日には、ドローンで調査区全景を航空写真撮影しました。下の写真は、ドローンのセッティングをしている様子です。
現在の調査個所は、特別史跡多賀城跡から南西に約1.5kmの位置にあたります。下の写真の奥に見える木が生い茂った丘陵に多賀城跡があり、手前に広がる水田が調査対象となる事業範囲です。この場所は、多賀城南面に広がっていた方格地割の周縁部にあたります。
今回の調査では、地割を区画する南北方向と東西方向の道路跡を発見しています。その周辺には、畑作に関連すると考えられる小溝群や、掘立柱建物跡や竪穴住居跡などの居住施設も見つかっています。下の写真の矢印で示した場所で、道路跡が見つかっています。
本調査地は、JR東北本線山王駅の南側に位置しています。9月25日から10月5日までの間、9日間にわたって発掘作業を行いました。同じ敷地内の北側では、山王遺跡第200次調査を実施しています。
山王遺跡は弥生時代から江戸時代まで、さまざまな時代の遺跡が発見されています。
今回の調査では平安時代の道路跡を発見しました。
調査区全景(南から)
上の写真では、奥と中央部に黒い部分が見えています。これは排水のために道路の両脇に設けられた側溝です。側溝と側溝の間が路面になります。
土の表面を丁寧に削ると、道路側溝の輪郭が次第に姿を現しました。作業員のいる部分が路面に相当します。
全体を削り終えました。東西に延びる2本の道路側溝がはっきりと確認できます。
それぞれの側溝の幅は2.2~3.2mで深さが90cm、路面の幅が3.7~4.1mあります。
今回発見された道路は、その位置や規模、傾きなどから、南1道路であると考えられます。南1道路は古代多賀城の基幹道路である東西大路に並行するように、その南側に整備された道路です。本調査地点の東側で行われた調査(第178次調査)でも見つかっており、南1道路は本調査地点を通過して、さらに西に伸びていることがわかりました。
多賀城インターチェンジにほど近い場所で発掘調査を行っています。10月に新たに着手した中央部分で、平安時代の道路や建物、井戸を発見しました。
ドローンで撮影した調査区全景です。写真中央上方(調査区南端)と右下(調査区北端)で平安時代の道路、この道路に挟まれた箇所で建物や井戸を発見しました。
調査区北端で発見した東西方向の道路です。帯状の2本の溝が延びていて、その溝の間が路面となっています。
今回の調査区では、中央部分で平安時代の建物を発見しました。道路や区画溝に挟まれた非常に狭い範囲に、何度も建て替えられていたと考えられます。
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