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更新日:2021年5月19日
江戸時代、現在の多賀城市域において、最大の知行高(ちぎょうだか)をもっていたのが、八幡村の領主天童氏でした。仙台藩から準一家の家格を与えられた天童家には、仙台藩との関係を示すものをはじめ、重要な文書が残されていました。
本展示では、藩主との主従関係が結ばれたことの証となる知行状や、家の由緒にかかわる系図など、天童家のいしずえとなった文書をご紹介しました。また、平成27年度に確認された足利尊氏文書を初公開しました。
平成29年1月5日(木曜日)から平成29年5月14日(日曜日)
毎週月曜日(ただし、国民の祝日にあたるときは除きます。)、
祝日の翌日(ただし、日曜日および土曜日にあたるときは除きます。)
多賀城市埋蔵文化財調査センター展示室(多賀城市文化センター内)
午前9時から午後4時30分(入館は午後4時まで)
無料
初公開資料「将軍家御判御教書」
観応元年(1350)、足利尊氏が速成就院(そくじょうじゅいん)長老宛に出した命令書が天童家に伝わっていました。内容は敵対する弟直義派を退治するため、大般若経を読んで祈祷してほしいというもので、宛先の速成就院は京都知恩院境内にあった西大寺(さいだいじ)末寺と推定されています。内容や宛先からみて天童家伝来の資料ではありませんが、天童家が足利氏に連なる由緒を持つ家柄であることからこのような古文書を収集したものとみられます。
「伊達忠宗黒印状」
伊達家と天童家との間に主従関係が結ばれたことの証となる基本文書が「知行状」です。
天童家に残る最古の知行状は、仙台藩2代藩主伊達忠宗から天童家4代当主天童定義に宛てたもので、この時の知行地は江刺郡軽石村と宮城郡八幡村の2箇所でした。
「天童氏系図」
天童家には、天童氏系図が11点、天童氏に関わる諸家の系図が10点残されていました。天童氏系図は全て祖を足利氏に求めていることが大きな特徴です。
天童氏にとって、清和天皇・足利・斯波(しば)・大崎・最上と続く系譜は、「仙台藩準一家」という家格を保障する重要な要素でした。
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