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更新日:2017年9月20日
『おくのほそ道』は、松尾芭蕉が関東・東北から北陸にかけての古歌にまつわる歌枕の名所および由緒・来歴の地を訪れた旅路を、俳句を織り交ぜながら作品としてまとめ、ひとつの紀行文として完成させたものです。作品に記された歌枕ゆかりの地は、それぞれが古代からの古歌や歌人を偲ぶことができる優れた名所であることに加え、『おくのほそ道』という文学作品を構成する要素であり、一連としての価値を有するものでもあります。
名勝おくのほそ道の風景地は、「変わらずに残されてきたものと移ろいゆくものとを同時に捉えようとした芭蕉の「不易流行」の精神」を表しており、個別のみならず、『おくのほそ道』を通して相互に繋がりのある観賞上の価値が高い場所として評価され、名勝指定されたものです。現在、東京から岐阜県に至る旅路の中で、24箇所が名勝に指定されています(平成28年3月現在)。松尾芭蕉が『おくのほそ道』に感動を記し、古くから保護顕彰されていた由緒ある歌枕の景観を適切に保存し、良好な状態で未来へと継承するとともに、その文学的・歴史的・文化的魅力を地域資源として広く活用することができるよう運営するための方針を示すことを目的として、『名勝おくのほそ道の風景地「壺碑(つぼの石ぶみ)・興井・末の松山」保存活用計画』を策定しました。
多賀城市内で指定された「壺碑(つぼの石ぶみ)」・「興井」・「末の松山」は、いずれも松尾芭蕉と曾良が訪れ、『おくのほそ道』および『曾良随行日記』に記載された歌枕です。特に、『おくのほそ道』中の「壺の碑」の章が「不易流行」の精神を着想した場面であるという説もあることから、多賀城市内の歌枕行脚が『おくのほそ道』の中でも重要な場面であったと言えます。
また、3箇所の指定地は、『おくのほそ道』以降も仙台藩および民間の俳諧師による名所整備や、地元住民により管理や植樹されるなど、現在に至るまで保護されてきました。こうした歌枕顕彰活動において『おくのほそ道』が与えた影響は大きく、今なお『おくのほそ道』を彷彿とさせる良好な景観が伝えられてきています。
松尾芭蕉が感動を込めて『おくのほそ道』に記し、古くから保護顕彰されてきた歌枕である3箇所の指定地の景観を経過観察しながら維持し、必要に応じて修景整備などを行い、良好な状態を保ちながら未来へと継承するとともに、周辺地域と一体となった景観の保全を図ります。
『おくのほそ道』の文脈で繋がる3箇所の指定地の文学・歴史・文化を始めとした多様な価値を追究するための研究を推進し、その成果を地域資源として教育や観光振興、まちづくりなどに広く活用します。
3箇所の指定地における周辺環境にも配慮した保存と『おくのほそ道』を介した一体的な活用を効果的に推進するために、市内の文化財・教育・観光・まちづくりに関連する部署間で十分に調整を図ります。あわせて、地域住民・団体や県内外の名勝おくのほそ道の風景地に関連する機関との積極的な情報交換や連携を推進します。
第3章 多賀城市の歴史と指定地の文学史的背景(PDF:629KB)
附章2 名勝おくのほそ道の風景地における包括的保存活用の基本指針(案)(PDF:153KB)
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