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更新日:2017年10月20日

東大寺展

東大寺展ニュース大寺展の全容明らかに!!

10月20日、東日本大震災復興祈念特別展「東大寺と東北-復興を支えた人々の祈り-」記者発表会が開催され、正式名称や出陳物などが明らかになりました。

また、仏像大使として、みうらじゅんさん、いとうせいこうさんが就任することが発表されました。

  • 名称/東日本大震災復興祈念特別展「東大寺と東北-復興を支えた人々の祈り-」
  • 会期/2018年4月28日(土曜日)~6月24日(日曜日)※会期中に展示替えを行います。

前期展示:4月28日(土曜日)~5月27日(日曜日)

後期展示:5月29日(火曜日)~6月24日(日曜日)

東大寺展のオリジナル年賀はがき販売

東大寺展の広告が入った年賀はがきを通常価格より2円安い50円で12月上旬に販売予定です。詳しくは、広報多賀城12月号でお知らせします。

東大寺と多賀城について

東大寺と多賀城の縁は奈良時代にはじまります。神亀元年(724年)、聖武天皇が即位した頃の国内は、大地震が続いたり、飢饉や疫病が流行するなどの災難が度重なり、社会的な不安が増していました。
聖武天皇は、仏教の力で国を守る鎮護国家という考えから、国分寺・国分尼寺建立の詔を出し、その中心的寺院として奈良の都に東大寺を建立します。東大寺では、本尊とする大仏、盧舎那仏の造立が進められていましたが、完成を目前にして大仏を荘厳する金が不足していました。
その頃の東北は、奈良平城京を中心とした律令政府のもと陸奥国府多賀城によって統治されていました。
折りしも天平21年(749年)、不足していた黄金が陸奥国、現在の涌谷町で発見されます。大仏塗金に用いる900両(約33.5kg)にも及ぶ黄金が、当時陸奥国の長官であった百済王(くだらのこにきし)敬福(きょうふく)から献上されました。この時の聖武天皇の喜びは大きく、年号を天平から天平感宝に改めたほどです。

(仮称)東大寺展の開催に向けて

その後東大寺は盧舎那仏の損傷、火災や落雷による仏像や堂宇の焼失、なかでも二度の兵火による焼亡などその存続にも深刻な影響を及ぼすほどの苦難に遭いながらも、多賀城にも縁のある源頼朝、西行をはじめ、いつの時代も多くの人々のチカラが集まって復興を遂げてきました。そして、東大寺はその復興を通し、新たな文化や歴史を創造し続け、人々に希望と勇気を与え続けてきたのです。

一方、多賀城もその歴史を紐解けば、貞観地震や度重なる戦火などの災禍から何度も立ち直り、復興を遂げて来ました。

その陸奥国であった東北地方の太平洋沿岸部に、東日本大震災は未曽有の被害をもたらし、多くの爪痕を残しました。

天平産金からのご縁、そして互いに復興の歴史を持つ東大寺と多賀城。未曽有の大災害に直面した東北に、東大寺は多大な支援をし続けてくれています。

幾重もの災禍を乗り越え、常に創造的復興を遂げてきた東大寺の歴史は、まさしく東日本大震災の被災地東北の先達であり、この地で生きる人々の大きな指針や心の支え、ひいては東北全体が豊かに発展するための学びを得る「未来への道標」です。
今、多くの方々のご支援に支えられながら、未曾有の大災害からの一日も早い復興を固く決意し、総力をあげて取り組んでいる東北が、更に一体となって復興への歩みを進め、その先に子どもたちが夢と希望と誇りを持つことのできる豊かな東北の未来を築けるよう、この多賀城の地に在る東北歴史博物館で「東日本大震災復興祈念大寺展」を開催し、東北復興の“今”と“未来”を照らす道灯りとなることを目指すこととしたものです。

東大寺展実行委員会が設立されました

平成28年10月11日、東北歴史博物館特別展「東日本大震災復興祈念大寺展」実行委員会設立総会が開催され、東大寺、多賀城市、宮城県教育委員会、河北新報社、仙台放送、日本経済新聞社の6者を構成員とする実行委員会が設立されました。会長は多賀城市長、副会長は宮城県教育長、幹事は河北新報社の代表者、監事は仙台放送および日本経済新聞社それぞれの代表者となります。
本展は平成30年春開催、関連行事は今年度から実施していく予定です。
今後とも関係各位と連携を図り、東大寺展の開催へ向けた取組を進めていきます。随時トピックスをお伝えしてまいりますので、皆様のご協力を、何卒よろしくお願いします。

お知らせ

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お問い合わせ

総務部市民文化創造局 

宮城県多賀城市中央二丁目1番1号

電話番号:022-368-1141(内線:261~263)

ファクス:022-368-2369

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