友好都市 福岡県太宰府市
最終更新日 平成23年12月13日
目次
友好都市締結の背景
多賀城と大宰府は、奈良時代の律令制度のもと朝廷の出先機関として、西海道(九州)と陸奥・出羽(東北)地域を治める役所としてほぼ同じ時期に機能していました。また、軍事の統括や、朝廷と緊張関係にあった蝦夷や新羅との外交の舞台として機能していたことが知られています。
当時の多賀城と大宰府は、都に似せて瓦を葺き、柱に朱を塗った壮大な政庁を中心に計画的な地方都市としてのまちなみが形成されていました。
都からは、多くの官人が往来し、中でも万葉歌人であった大伴旅人は、息子家持を伴って大宰府に赴任し、多くの歌を残しました。その後、同じく万葉歌人として活躍した家持は、鎮守府将軍として多賀城に赴任し、晩年を多賀城で過ごしたという経緯もあり、ともに万葉文化の花開いた土地であるという共通点もあります。
古代日本において「遠の朝廷」と呼ばれたふたつの都市、多賀城と大宰府。その歴史的背景から双子のようなまちであると言えます。
現在、史跡としての多賀城跡、大宰府跡は、国の特別史跡に指定され、ともに多くの来訪者を迎えています。その歴史遺産を活用する場面でも、多賀城市では平成11年に宮城県立東北歴史博物館が開館し、また、太宰府市では、平成17年10月に九州国立博物館がオープンしています。
この九州国立博物館のオープンを契機に、およそ1300年の昔から深い縁で結ばれていました二つの市の交流をさらに深め、新たな文化を育てていこうと、友好都市の関係を結ぶことにしたものです。
太宰府市の特色
太宰府市は、福岡市の南東約16キロに位置し、北に四天王山、東に宝満山があり、市を縦貫する御笠川は、宝満山に源を発して市街地を通り、途中鷺田川、大佐野川と合流し、末は博多湾に注いでいます。
約1300年前、当時の太宰府には、九州全体を治める「大宰府」という大きな役所が置かれ、約500年の長い間、その役割を果たしてきました。今もその歴史をしのばせる大宰府跡、水城跡、観世音寺、太宰府天満宮など市内に数多くの史跡や名所が存在し、年間約600万人の観光客が訪れています。
現在の人口は、66,251人(平成17年3月末現在)で、増加率の面では落ち着きつつあるものの、「史跡や緑にめぐまれた福岡都市圏の住宅都市」として発展しています。
詳しくは太宰府市のホームページをご覧ください。
友好都市盟約宣言調印式
平成17年11月21日に福岡県太宰府市九州国立博物館で両市長ほか総勢約130名が出席し開催されました。式では、両市長が友好都市盟約宣言及び友好都市提携に関する協定書に調印し、両市民の相互交流や文化芸術、産業、観光、教育などさまざまな分野での交流を行っていくことを確認しました。

友好都市の絆
平成17年11月21日に友好都市を締結した太宰府市。昨年締結から5周年を迎え、歴史的なつながりの深い太宰府市から、たくさんのご支援をいただきました。3月15日午後、6トントラックいっぱいに緊急支援物資を積み、太宰府市を出発。約12時間かけて飲料水や毛布、給水タンクなどを届けていただきました。その翌週には、一万食の食糧(パン)・紙コップ・給水タンクなど、その時に必要な物資を届けていただきました。
また、市民の皆さまから寄せられた粉ミルク・紙おむつ・肌着・靴下や、作業用の手袋・長靴・ゴミ袋など、生活や片付けに必要な物資を3月末までに届けていただきました。市からの災害見舞金をいち早く送っていただいたほか、「友好都市・多賀城市への義援金」という市民義援金を募集。市内12箇所に設置した義援金箱には、たくさんの義援金が寄せられ、改めて太宰府市民の皆さまの温かさを感じました。4月5日には、井上保廣市長が激励に訪れ、職員の手書き応援メッセージを菊地市長に手渡しました。
また、5月中旬から6月末までの一ヶ月半、8人の職員に被害者相談窓口で相談業務にあたっていただきました。さらに、被災した文化財の保全活動のため、一ヶ月間にわたり、5人の文化財担当職員へ関していただきました。
市や市民の皆さまからの支援物資と義援金、そしてたくさんのマンパワー。太宰府市とは、距離を感じさせないつながりの深さを感じました。
心温まるご支援に深く感謝いたします。
支援の様子
3月24日太宰府市から届いた緊急支援物資

4月5日井上保廣市長来庁

5月28日文化財保全活動

友好都市との交流事業
「太宰府市民政庁まつり」で支援への感謝と、多賀城の今をお伝えしてきました!
本市は、今回の災害において友好都市太宰府市民の皆さまから、たくさんのご支援(物資、義援金、人的派遣等)をいただきました。
この温かいご支援に感謝し御礼するため、平成23年10月1日(土曜日)に「太宰府市民政庁まつり」に参加し、本市の震災当時と最近の状況を、映像と写真でお伝えしてきました。
今回、まつりのテーマの一つは「絆 がんばろう!東北 多賀城」。被災当時と数ヶ月後のまちの様子の比較写真には、多くの方が足を止めていただき、説明する職員に熱心に当時の様子を質問していました。まちを襲った津波映像では、食い入るように画面に見入り、貞山運河を遡上する津波、仙台港近くの工場から撮影された建物をもなぎ倒す津波の力などに、驚きの声を上げ、時には絶句している方もいました。
さらに、多賀城市職員の顔写真で作った縦1.5メートル×横2.3メートルの「絆」パネルには、太宰府市のマスコットキャラクター「ゆめ・未来」をデザイン。多賀城ブースの前を通りがかる人たちの目を引いていました。

夜の「あんどん点灯式」では、太宰府政庁跡が数え切れないほどのあんどんの灯りに照らされ、幻想的な雰囲気を作りあげていました。また、東日本大震災の復興を願い作成された灯明オブジェには、多賀城の隠れキャラクター「ドッキー」と「かわらどん」を発見!つづく「友好都市紹介コーナー」では菊地市長から、たくさんの支援に対して御礼のあいさつと、復興への決意が語られました。
昼から夜まで続いたまつりでは、多賀城ブースに人がとぎれることはなく、写真や映像で語られる本市の惨状に「遠く離れてたいしたことはできないけど、義援金送ったよ!」「震災の時は本当に大変でしたね」などと、多くの太宰府市民の皆さまから温かい言葉と応援をいただきました。

感謝という言葉しか思い浮かばないほど、心が熱くなりました。太宰府市と多賀城市の心のつながり「絆」を実感したまつりでした。
友好都市5周年記念献立
太宰府市との友好都市5周年を記念し、平成22年11月15日、16日に市内の各小学校に、平成22年11月26日に市内の各中学校に太宰府市の給食献立と同じメニューが提供されました。
献立
- ごはん
- いわしの味噌煮
- がめ煮
- ずいきのおつけ
- ずいきのおつけ
- ずいきとは里芋の茎を干したものです。それを水で戻して切って料理をします。宮城県でもいもがら・ずいきと呼び、みそ汁や雑煮に入れる地方があります。 太宰府市でもその年にとれた里芋に感謝してずいきをみそ汁や煮物に入れて食べる習慣があります。 おつけとはみそ汁のことをいうそうです。
- がめ煮
- 正月やどんたく、山笠などの祭り、祝事、客のもてなしなどに作って食べていました。昔は鶏肉ではなく、かじきまぐろ、すっぽんなどを使っていたそうです。名の由来は、材料を“がめくりこんで”(博多弁で「かき集めて」)つくるからとか。つまり、何でもあり合わせのものをかき集めてつくるという意味の郷土料理です。

問い合わせ先
- 多賀城市役所 022-368-1141
- 総務部地域コミュニティ課市民活動推進係 内線251〜253
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