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更新日:2017年4月7日

発掘速報(平成29年1~3月)

市内遺跡における発掘調査(1~3月に実施した調査)

山王遺跡第179次調査

ほ場整備事業に伴う発掘調査では、山王遺跡第179次調査を行っています。

調査は1月から3月にかけて行っており、新年度も継続する予定です。

北側の調査区からは、古代の畑跡がみつかっているほか、多賀城跡で葺かれたものと同じ型の軒丸瓦(のきまるがわら)が出土しています。

この軒丸瓦は、多賀城跡調査研究所で用いられている瓦の型番号310Aに当たるもので、西暦780~869年頃の軒丸瓦です。同じ型の軒丸瓦が、仙台市の台原・小田原窯跡群などで生産されていたことがわかっています。

軒丸瓦

また、軒丸瓦が出土した調査区のすぐ南側の調査区で見つかった平安時代の畑跡は、区画溝を境に

して方向を変化させるもので、古代の土地利用を考える上で大変興味深い成果となりました。

区画溝

中央の並行する二本の大きな溝が区画溝で、東西に広がる小さな溝が畑跡です。区画溝の上にうっすらと見える白い筋は、10世紀初頭頃に降灰したと考えられている火山灰です。

山王遺跡第177次調査

市内西部の南宮地区で実施した山王遺跡第177次調査では、江戸時代と思われる遺構面から土壙(どこう)、井戸、溝跡、柱穴(ちゅうけつ)が見つかっています。
山王177

西沢遺跡第29次調査

本調査地点は多賀城市浮島字西沢に所在し、特別史跡多賀城跡の東側丘陵上に位置しています。

丘陵南側の大部分を宅地造成する計画に伴い、合計25か所のトレンチ調査を実施しました。

最頂部に設定したトレンチで溝跡やピットを検出したほかは、近世以降の大規模な削平により元の地形が改変されており、遺跡の対象となるような時代の遺構は発見されませんでした。

西沢

新田遺跡第117次調査

調査地点は塩釜街道沿いに位置しています。
東北本線踏切の西側、約100mの場所です。

新田遺跡は縄文時代から中世にかけての遺跡として知られており、
特に中世では、溝で区画された屋敷跡が多数発見されています。
出土遺物から上級武士の屋敷と考えられます。

今回の調査では、調査区内を東西に横切る3本の溝を発見しました。
最も大きな溝で、幅3m、深さ約1mの規模があります。

新田

過去の調査でも、本調査区西側と南側で、東西方向の溝が発見されています。
今回発見された溝も、これらと一連の溝である可能性が高いと考えられます。

それぞれの溝からは中世(鎌倉・室町時代)の焼き物の破片が発見されました。
このことから、発見された遺跡の年代は中世と考えられます。

青磁

また、当時はたいへん貴重だった青磁の碗の破片が発見されました。
調査区の周辺には、青磁を持つことができる身分の高い人々が住んでいたことがわかりました。

来年度に向けて

ほ場整備事業に伴う発掘調査は来年度も続きますが、その他の事業に係る発掘調査も多数予定されています。

ホームページでご紹介できる成果は、発掘調査全体のごく一部ではありますが、今後も引き続き情報を発信していこうと思います。

平成29年度も多賀城市の発掘速報にご期待ください。

お問い合わせ

埋蔵文化財調査センター  

宮城県多賀城市中央二丁目27番1号

電話番号:022-368-0134

ファクス:022-352-6548

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