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更新日:2018年6月8日

古墳時代

今から約1,700年前、奈良県を中心に巨大な前方後円墳を築く勢力=ヤマト政権が誕生しました。この政権は武力を背景に各地の豪族たちを従え、その勢力は4世紀になると北は宮城県北部、南は宮崎県にまでおよびました。服属した豪族(ごうぞく)たちも、この政権と同じような巨大な古墳を各地に築きました。

多賀城では、4世紀に入ると丘陵上や沖積地の微高地に竪穴住居をつくって人々が暮らし始めました。おそらく他の地域から移住してきた人々で、山王(さんのう)・新田(にいだ)地区に水田を開きました。その範囲は、細長い自然堤防の縁辺部に東西約2.5キロメートル、南北0.7キロメートルに及ぶ広大なものです。また、高崎地区では矢板を立て並べた水路が造成されており、高水準の土木技術を有していたことが知られます。

新田遺跡の水田跡

新田遺跡の水田跡


5世紀になると、集落はさらに発展し、人口も増加しました。新たに鉄製の道具を造りはじめ、収穫の季節には神々に供物(くもつ)をそなえ、感謝のマツリを行っていました。マツリに使った大量の土器や石製の鏡と剣の模造品(もぞうひん)が山王・新田遺跡から出土しています。

石製模造品

石製模造品


4世紀から5世紀にかけては、この地域を治めていた豪族の古墳として、丸山囲古墳が知られています。直径約40mの円墳です。また、この地域では、続縄文土器や黒曜石でつくった石器などの北海道系遺物が発見されています。これらの遺物は、北方の人々が古墳文化の人々と交易を行っていたことを示しています。

6世紀から7世紀にかけては、稲荷殿(いなりでん)古墳(円墳)や、大代(おおしろ)横穴墓、田屋場(たやば)横穴墓が知られています。大代横穴墓の副葬品には装飾太刀などの威儀具(いぎぐ)が供えられており、この地域を治めていた豪族の墓であると考えられます。また、山王遺跡八幡(はちまん)地区では、竪穴住居が密集した大規模な集落が発見されており、この地域が当時の政治的、軍事的、経済的に重要な拠点であったと考えられます。

特に注目すべき遺物としては、山王遺跡八幡地区で発見された木製の柄香炉(えごうろ)です。香を焚くときに用いられる供養具(くようぐ)であり、集落内でも仏事が執り行われていた可能性を示しています。木製の柄香炉が出土したのは国内で初めてであり、地方でもかなり早い段階で仏教が普及していたことを示す資料として貴重です。

稲荷殿古墳

稲荷殿古墳

 

大代横穴墓

大代横穴墓

 

柄香炉(東北歴史博物館提供)

柄香炉(東北歴史博物館提供)

 

多賀城碑によれば、神亀元年(724)に多賀城が創建されます。その時期になると、山王周辺は経済的にも文化的にも十分に成熟した地域に成長していたことが知られます。

お問い合わせ

埋蔵文化財調査センター  

宮城県多賀城市中央二丁目27番1号

電話番号:022-368-0134

ファクス:022-352-6548

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