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更新日:2015年6月11日

古墳時代

今から約1,700年前、奈良県を中心に巨大な前方後円墳を築く勢力=大和政権が誕生しました。この政権は武力を背景に各地の豪族たちを従え、その勢力は4世紀になると北は宮城県北部、南は宮崎県まで及びました。服属した豪族(ごうぞく)たちも、この政権と同じように巨大な古墳を各地に築きました。

多賀城では、4世紀に入ると丘陵上や沖積地の微高地に竪穴住居をつくって人々が暮らし始めました。おそらく他の地域から移住してきた人々で、山王(さんのう)・新田(にいだ)地区に水田を開田しました。その水田域は、細長い自然堤防の縁辺部に東西約2.5キロメートル、南北0.7キロメートルに及ぶ広大なものです。この水田を維持・管理するには、多大な労働力が必要となり、先人たちの労苦が偲ばれます。

新田遺跡の水田跡

新田遺跡の水田跡


5世紀には、さらに集落は発展し、人口も増加しました。新たに鉄製の道具をつくりはじめ、収穫の季節には神々に供物(くもつ)をそなえ、感謝のマツリを行っていました。マツリに使った大量の土器や石製の鏡と剣の模造品(もぞうひん)が山王・新田遺跡から出土しています。

石製模造品

石製模造品


4世紀から5世紀にかけては、この地域を治めていた首長の存在を垣間見ることができるのですが、残念ながら未だ古墳は発見されていません。また、この地域では、続縄文土器や黒曜石でつくった石器などの北海道系の遺物が発見されています。これらの遺物は北の人々が南下し、古墳文化の人々と交易を行っていたことを示しています。

6世紀から7世紀になると、この地域を治めていた豪族の墓である円墳(稲荷殿(いなりでん)古墳)や横穴墓(大代(おおしろ)横穴墓、田屋場(たやば)横穴墓)が築造されます。山王遺跡八幡(はちまん)地区では、竪穴住居が密集して発見され、装飾太刀などの威儀具(いぎぐ)を備えていることから、この地域を治めた首長クラスが居住した場で、当時の政治的、軍事的、経済的に重要な拠点であるとされています。特に注目すべき遺物としては、木製の柄香炉(えごうろ)があります。香を焚くときに用いられる供養具であり、一般的には寺院との関係が考えられます。しかし、この周辺では寺院などの施設は確認されておらず、集落内でも仏事が執り行われていた可能性を示しています。
出土品としては国内では初めてのもので、地方でもかなり早い段階で仏教が普及していたことを示す一例として大変貴重なものです。

稲荷殿古墳

稲荷殿古墳

 

大代横穴墓

大代横穴墓

 

柄香炉(東北歴史博物館提供)

柄香炉(東北歴史博物館提供)


この集落は7世紀中頃には突然姿を消してしまいます。多賀城が創建されるのは8世紀前葉ですので、その間はなぞの空白期と言えるでしょう。

お問い合わせ

埋蔵文化財調査センター  

宮城県多賀城市中央二丁目27番1号

電話番号:022-368-0134

ファクス:022-352-6548

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