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更新日:2016年9月9日

平成27年度の発掘調査情報

新田遺跡第103次調査

新田(にいだ)遺跡は、本市西部の新田地区と山王地区にまたがるよう位置し、その範囲は東西約0.8キロメートル、南北約1.6キロメートルの広さを有しています。
今回の調査地は新田字後地区で、古墳時代の小溝群(畑跡)、奈良時代の竪穴住居跡、平安時代の溝跡、中世の溝跡などを発見しました。

新田103次調査の竪穴住居跡
竪穴住居跡の規模は東西3.8メートル、南側は溝に壊されていますが、南北2メートル以上の大きさです。
煮炊き用のカマドは北辺の中央に造られていたようですが、廃絶時に壊されたようです。
焚き口と思われる焼土面や、煙道(屋外に排煙するためのトンネル)が確認できました。

新田103次調査の竪穴住居跡内出土土器
カマドの南西付近では当時煮炊きに使っていた土師器(はじき)と呼ばれる甕が5個体まとまって出土しました。
住居廃絶時にまとめて捨てたものと考えられます。

高崎遺跡第102次調査

高崎遺跡は、多賀城跡の南東に位置し、低丘陵の西端部に立地しています。東西約1.3キロメートル、南北約1キロメートルの広い範囲を有しています。
今回は高崎一丁目での調査で、平安時代の竪穴住居跡3棟や溝跡、中世の掘立柱建物跡1棟、柱列1列のほか、多数の柱穴を発見しました。

高崎102次の竪穴住居跡1
この住居跡は西から撮影したもので、大きさは北辺が4.4メートル、西辺が4.3メートルです。
カマドは明確には確認できませんでしたが、遺構確認時に北辺の中央部で炭化物を多く検出しており、この位置の床面には壁周溝(へきしゅうこう)をトンネル状にするように瓦が敷設されていたことから、カマドはこの上に構築されていたと考えています。
また、住居の北西と北東コーナーから北に向かって、外延溝(がいえんこう)も確認しています。
年代は、出土した遺物の技法的特徴から9世紀の中頃と見られます。

高崎102次の掘立柱建物跡
桁行(けたゆき)3間、梁行(はりゆき)3間の東西に長い総柱(そうばしら)の掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)です。
規模は北側と東側の柱列で見ると、北側は長さ8.55メートル、東側では7.15メートルになります。
出土遺物がないため年代は判然としませんが、重複する遺構との新旧関係や、周辺の調査成果に相似する柱穴の形態などから、中世頃と見られます。

内館館跡第1次調査

多賀城市南宮に鎮座する南宮神社の南側に、小字名が「内館」という地区があり、かねてより城館跡と考えられていました。
今回この地区において、農村地域復興再生基盤総合整備事業に伴って発掘調査を実施し、奈良・平安時代の集落跡と畑跡、中世の館跡を発見しました。

内館館跡ソイルマーク
緑色の稲田の中に、周りよりもさらに濃い緑色をした帯状のラインがいくつか確認できます。
これはクロップマークと呼ばれるもので、地下の遺構が原因となって地表面の乾湿に影響を及ぼし、それが植物の生育に作用して形成されたものです。
湿ったところでは生育がよく、乾いたところでは生育が悪いため植物の背丈に差が生じることから、このように色の違いとして識別することができます。

内館館跡堀跡
クロップマークは以前より確認されていましたが、今回の調査によってクロップマークの位置に堀跡を発見することができました。

内館館跡出土漆器
出土した遺物は、かわらけのほか瓦質陶器すり鉢、中国浙江省の龍泉窯産青磁碗、漆器などがあります。
これらの出土遺物から、館跡は遅くとも16世紀(1500年代)、室町時代頃には機能していたことがわかりました。

八幡沖遺跡第9次調査

八幡沖遺跡は、市の南端部にあたる海岸線まで約2.5キロメートルの平坦部に位置しており、その範囲は、八幡神社境内およびその周辺で、南北約380メートル、東西約280メートルにおよびます。
今回は災害公営住宅多賀城市宮内地区整備に伴う調査で、調査区北側に建物跡、広い空間を挟んだ南側に土器が捨てられた土壙(どこう)を発見しています。

八幡沖9次遠景
調査地は八幡神社の西に隣接した位置です。

八幡沖9次検出の掘立柱建物跡
掘立柱建物跡は、身舎(もや)が桁行3間・梁行2間で、廂(ひさし)が四面に付く、南北に長い建物構造が想定されます。
廂まで含めた桁行総長は東側柱列で10.47メートル、梁行総長は南側柱列で9.28メートルとなります。
建物が建てられた年代は、出土した柱材の放射性炭素年代測定などから、10世紀(西暦900年代)中葉から後葉と考えられます。

八幡沖9次検出の土壙
土壙にまとめて捨てられていた土器は、多賀城周辺では「須恵系土器」と呼んでいるものです。
神社の東側からも多く発見しており、宮内地区は多賀城の終末期に活発に土地利用されていたことがわかりました。
土器の年代は10世紀(西暦900年代)終わり頃から11世紀(西暦1,000年代)初め頃までに収まる時期のものと考えられます。

お問い合わせ

埋蔵文化財調査センター  

宮城県多賀城市中央二丁目27番1号

電話番号:022-368-0134

ファクス:022-352-6548

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