顔の見える学校給食をめざして

多賀城市はセンター方式で学校給食を実施しています。作る人と食べる人、別々の場所に離れていても、お互いを知り、顔の見える給食を子どもたちに届けたい。そんな願いを込めて、毎月いろいろな取り組みを行っています。

最終更新日 平成23年3月9日

目次

22年度から24年度までの食に関する指導

近年、食生活を取り巻く社会環境の変化に伴い、子どもの食生活の乱れや肥満傾向増大等、健康への悪影響が社会問題として恒常化しつつあります。

このようなことから、この計画では多賀城市内の児童生徒の将来にわたる健康のため、正しい食事のとり方や望ましい食習慣を主体的に身に付けることができるよう、指導態勢の充実はもとより、地域との関わりを意識した食に関する指導の充実を目指します。

具体的には、食に関する指導の現状と課題の分析を行い、指導態勢の充実に係る基本目標を設定することにより、計画的かつ効果的に取り組み、食に関する指導のより一層の充実が図られるよう本計画を策定するものです。

食に関する指導

山王小学校2年(9月21日・22日)

野菜の名前や働きを知り、自分たちが食べている野菜に興味・関心をもち、苦手な野菜も少しずつ食べようという意欲をもってもらうことをねらいに栄養指導をおこないました。

まず、野菜となかよくなろうということで、野菜の花をみせながら、なんの野菜なのかのクイズをだし、子どもたちに考えてもらいました。きゅうりやなす、大根 、トマト、キャベツ、かぼちゃの花の写真を見せて答えてもらいました。野菜のもう一つの顔を見て、子どもたちは野菜が身近に感じてくれたようでした。

次に、食べ物には命があること、そんな食べ物を粗末にしてはいけないということをお話ししました。

最後に、野菜の働きと食べない場合の弊害を知らせて、野菜にはたくさんのパワーがあることをお話ししました。

食に関する指導

給食センターに中学生が職場体験に来ました

10月26日(火曜日)に多賀城中学校2年生の女子生徒1名が職場体験で給食センターに来ました。

 これは中学校で総合的な学習の時間において、職場体験を通し、働くことの意義について深く考え、将来の生き方を考える時間を設けている中での活動として実施しているものです。

 今回は朝9時から午前中は給食ができるまでの調理作業を実際に体験し、午後は食器の洗浄作業も体験しました。

生徒の感想として一部を抜粋します。

職場体験

小学校に給食センターがやって来た

10月7日山王小学校の1年生、10月4日八幡小学校の1年生のクラスに給食センターの栄養士と調理員が調理器具を持参して訪問しました。

始めに、今日はここが給食センターですと説明し、調理員が実際の作業と同様に身支度をして、手洗いの実演をしました。

調理器具の説明では、調理釜に見立てたひもで子供たちは調理釜の大きさに驚いていた様子でした。次に調理員がひもの中で実際の調理の際に使用しているものと同じのスパテラ(大きなヘラ)や網じゃくしを使っての作業実演を行いました。

最後に子供たち全員に、それぞれの調理器具に触れてもらい、「給食は残さず食べてね」と約束してもらいました。

給食センター職員が学校訪問 給食センター職員が学校訪問

子供たちが給食センターに見学に来ました

秋晴れの9月9日に多賀城東小学校の3年生95名の児童が社会見学にきました。

外で施設の概要を聞いたり給食を運搬する車両などを見学する班と室内で調理作業の様子についてのスライド説明や実際調理で使用する器具を見る班の2班に分かれて、途中で交代しながら見学をしました。

初めて見学した児童がほとんどで活発に質問したり、メモしている光景もありました。ふだんは見られない天井内にある配管の様子を見学した際には興味津々で見ていました。給食センターの職員からのクイズでは、給食を調理する人数が想像していた人数よりも少ないことに驚いていた様子でした。

給食センター見学1

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1月24日から1月30日は全国学校給食週間です

給食週間とは

明治22年に山形県鶴岡市の私立忠愛小学校で、お弁当を持ってこられない貧しい子どものために社会事業として昼食を出したのが給食の始まりです。その後、戦争により一時中止されましたが、戦後、日本の子どもたちのために、ユニセフから小麦粉や脱脂粉乳が寄贈され、再び給食が始まりました。この日が給食の誕生日にあたりますが、冬休みになるため、1ヶ月のばして1月24日を「給食記念日」とし、給食記念日を含む1週間を学校給食週間としています。

テーマ「学校給食の歴史を知ろう!!」

平成23年1月は全国給食週間にちなみ、節目の年の給食を献立に取り入れて実施しました。

明治22年の給食

 ・しおびき
 ・煮びたし
 ・セルフおにぎり

 

明治22年の給食
1日3食を満足に食べられなかった子どもたちにお昼ごはんを出したのが給食の始まりだといわれています。おにぎりを自分で作るセルフおにぎりにしました。

戦争中の食事

・ふかしいも

・すいとん汁

・梅干し

・麦ご飯

戦争中の食事
戦争が始まると、食べるものが少なくなって給食を続けるのが難しくなりました。家庭でも食べるものに困るようになり、昭和16年〜20年頃に給食は一時中断されました。当時、白いご飯はとても貴重で、さつま芋やすいとん汁などをご飯の代わりに食べていたそうです。

昭和25年頃の給食

昭和25年頃の給食

 ・魚肉ソーセージ
 ・ボイルキャベツ
 ・カレーシチュー
 ・コッペパン

 

昭和25年頃の給食
 戦争が終わってからも、食べるものがない時代が続きました。そんな時に、学校給食用にアメリカか小麦・脱脂粉乳・缶詰が送られるようになりました。そして、昭和25年にはパン・脱脂粉乳・おかずがそろった完全給食が始まりました。

昭和40年頃の給食

昭和40年頃の給食<

 ・ミートソース
 ・フレンチサラダ
 ・一食めん
 ・ミルメーク一コーヒー

昭和40年頃の給食
ソフト麺は、昭和40年頃から給食で食べられるようになりました。正式な呼び方は、「ソフトスパゲティ式麺」といいます。当時は、カレー・あんかけ・ミートソースなどをかけて食べていたそうです。

ドリームランチ多賀城開所お祝いメニュー

お祝いメニュー

 ・えびフライ・卓上ソース
 ・きんぴらごぼう
 ・かき玉汁
 ・セレクトデザート
 ・お赤飯

 

ドリームランチ多賀城開所お祝いメニュー
平成13年まで多賀城の給食センターは、多賀城小の近くと城南小の近くの2カ所にありました。平成14年に2つの給食センターを統合して「ドリームランチ多賀城」が完成しました。現在、「ドリームランチ多賀城」で作った給食が多賀城市内の全部の小中学校へ届けられています。

生産者を交えた交流給食を実施しました

交流給食の様子1 交流給食の様子2

全国学校給食週間中、給食センターに地元で作った野菜を納品している生産者の方々と給食センターの職員が子ども達との交流を図るために、1月24日城南小学校、1月25日東小学校と山王小学校、1月26日多賀城小学校、1月27日八幡小学校、1月28日天真小学校に訪問し一緒に給食を食べました。

生産者の方々が子ども達に、野菜を作るために気をつけていることや苦労していることをわかりやすく説明してくれました。

子ども達は、生産者の方々に「何の野菜を作っているんですか」、「畑の広さはどのくらいあるんですか」などと熱心に質問していました。

最後に生産者の方々が、「給食は好き嫌いせずに、残さず食べてください」と話すと、子ども達は、元気に「はい」と返事をしてくれました。

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