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更新日:2020年9月7日
「観音寺」と墨書された平安時代中頃(10世紀)の土器です。多賀城南面に建設された古代のまち並みの幹線道路「東西大路」の脇の穴から、多数の燈明具を含む約200点の土器と共に発見されました。これらの土器は、多数の燈明を灯して祈る万灯会(まんとうえ)のような仏教儀式に使用し、その後一括廃棄されたものと考えられます。多賀城下におけるこのような儀式は、多賀城の附属寺院である多賀城廃寺が主宰したと推測されることから、「観音寺」は廃寺の寺名を示す可能性が高いと考えられます。
(平成17年11月1日指定、種別:考古資料)
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