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更新日:2016年9月6日

北西部編

はじめに

古代東北の政治・軍事・文化の拠点であった多賀城跡は、約900m四方を築地塀や材木塀で囲まれ、ほぼ中央には重要な政務や儀礼などを行う政庁が構えられていました。最大幅23mもあった大路を通り、碁盤目状に整備されたまちなみを抜け、多賀城の玄関口である南門をくぐり、多賀城碑を横目に見つつ政庁へと至るルートは、竪穴住居が中心であった古代の一般的な集落と比べて、類を見ないような荘厳な空間であったと考えられています。

(画:早川和子氏)

そんな“表通り”が語られることの多い多賀城ですが、起伏に富んだ広大な城内は、実務を行う役所や工房、兵士の宿舎など、さまざまに使われていました。

現在、このうち一部は建物跡を表示するなど整備が行われていますが、大部分は豊かな自然の下に眠ったままになっています。ここでは、メインルートでは見ることができない多賀城の“裏道”の風景について、少し紹介します。

多賀城跡北西部の風景

今回紹介するのは、地図上に青線で示した、多賀城跡西側にある“裏道”です。

特別史跡指定地の西側の境界を南北に伸びる道です。道路沿い一帯は広く低地となっており、一部で水田が営まれています。現在は平らになっていますが、この道路東側に沿った位置に、古代の築地塀が作られていました。

加瀬沼公園野球場の南脇を通り、低地を抜けて丘の上へと伸びる道です。この低地は、古代の頃は湿地環境であったことが分かっています。

道を進んだ丘の上には、豊かな森林が広がっています。写真の道の南側には、多賀城市最古の遺跡である縄文時代の貝塚があります。ここには、今でも白く風化した貝や骨などが落ちています。

この道は政庁の方向に伸びており、江戸時代に仙台芭蕉の辻と鹽竈神社間を結び、多くの人々が往来した塩竈街道へと合流します。

多賀城跡は、市内でも有数の自然が多く残る地域です。道ばたに垣間見える歴史に思いをはせ、自然を楽しみながら多賀城跡を散策してみるのはいかがですか。

お問い合わせ

教育委員会事務局文化財課文化財係

 〒985-8531 宮城県多賀城市中央二丁目1番1号

電話番号:022-368-1141(内線:571・572)

ファクス:022-309-2460

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